諏方神社 <東京都荒川区>

谷中名狛めぐりで荒川区諏方神社を訪れた。

諏方神社は新堀(日暮里)・谷中の総鎮守。隊長ゆかりの神社であり、狛犬とは幼なじみ。狛犬三対。

町火消「れ組」が奉納した狛犬と隊長の記念撮影会で狛犬巡りを締めた。

諏方神社 (荒川区)

所在地 東京都荒川区西日暮里3-4-8
主祭神 建御名方命
創建 元久2年(1202年)

諏方神社(すわじんじゃ)は東京都荒川区の神社。新堀(日暮里)・谷中の総鎮守。諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社のひとつ。例祭は毎年8月。境内や周辺の道路に露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では、本社神輿が町内を渡御する。

概要
1202年(元久2年)に創建された。豊島経泰が諏訪大社から勧請したという。

文安年間(1444年~1499年)に、太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ江戸幕府も追認した。 社殿はもとは山の麓にあったというが、寛永12年(1635年)、山上が開削された際に現在地に遷座した。

江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している。

明治時代になると、旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、近郊の人々に篤く崇敬されるようになった。

昭和20年(1945年)3月の空襲で被災したが、昭和27年(1952年)復興した。

社名について
諏訪神社の分社ではあるが、当社は「諏方神社」と表記する。「諏方」が古来の表記であり、古文書などに使用例がある。諏訪地方も「洲羽」「須波」などと表記されることもあったが、和銅6年(713年)の続日本紀の「畿内七道諸国郡号の名は好き字を著けよ」の制以降、「諏訪」となったようである。中世から近世にかけては、「諏方」の表記も多く用いられるようになり、天保5年(1834年)、諏訪高島藩において、「諏訪」と書く指令が出されるという動きもあった。近年に至り、全国的に地名・人名ともに「諏訪」が通常の表記となり、神社名などに残っていた「諏方」は使われなくなっていった。当社では、所蔵する元禄時代の軸に「諏方大明神」とあることから、「諏方神社」を社名としている。(現在、全国に数ある諏訪神社分社のうち、数社だけ「諏方」の表記が使われている)



2024年2月17日
東京都荒川区西日暮里3-4-8

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