東大寺南大門石獅子
東大寺南大門石獅子
重要文化財。鎌倉時代。像高東獅子180.5センチ、西獅子160.0センチ。
南大門の裏側(北面)の左右に安置される石造の獅子像である。本来は大仏殿前の中門に安置されていたものである。東獅子の台座内から応永37年(1430年)の年紀のある笹塔婆が見つかっており、中門から南大門へ移されたのはその頃とみられる。『東大寺造立供養記』という記録に、これらの獅子は「宋人字六郎等四人」が建久7年(1196年)に大陸の石材を用いて造立したものであるとの記載があり、宋人の石工によって作られたとみられる。この「六郎」については、東大寺法華堂前の石燈籠などの作者として名を残す、伊行末(いぎょうまつ、いのゆきすえ)と同人とする説がある。東獅子、西獅子ともに高い石造台座の上に乗り、台座の腰部と基台部の側面には浮彫装飾がある。東獅子の台座腰部は前後面に牡丹唐草と葡萄唐草、左右面に玉取獅子を表し、西獅子の台座腰部は前後面に牡丹文と蓮華文、左右面に迦陵頻伽(かりょうびんが)と鹿を表す。東西獅子像ともに、台座基台部には雲文を浮彫りする。寺門の左右にこの種の像を安置する際、阿形(開口)と吽形(閉口)の一対とするのが通例だが、本像は東獅子、西獅子のいずれも阿形とする点、両像の像高が約20センチも異なり、作風にも相違があることなどから、本来の一具ではないとみられる。東獅子の方が巻毛などの彫りが細かく、出来が優れていると評される。『奈良六大寺大観 東大寺三』は、北中門と南中門にそれぞれ安置されていた二対の獅子のうちの1体ずつが残ったものかと推論している。
東大寺の仏像 より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E3%81%AE%E4%BB%8F%E5%83%8F
伊行末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%A1%8C%E6%9C%AB
伊 行末(い ぎょうまつ、い の ゆきすえ、? - 文応元年7月11日(1260年8月19日))は、鎌倉時代の石工。南宋時代に明州付近で生まれ、鎌倉時代初頭に来日し南都焼討後の東大寺復興にあたった。我が国の石工集団「伊派」の創始者であり、彼の子孫は「伊」「猪」「井」を冠する苗字を名乗り(例えば伊野、猪野、井野)、日本各地にその足跡を残している。
作品
・新大仏寺本尊石造台座、建仁2年(1202年)重要文化財
・大野寺弥勒磨崖仏、承元3年(1209年)史跡
・大蔵寺十三重石塔、延応2年(1240年)奈良県指定文化財
・般若寺十三重石塔、建長5年(1253年)重要文化財
・東大寺法華堂石燈籠、建長6年(1254年)重要文化財
この他、確証はないものの、重要文化財「東大寺南大門石獅子一対(建久7年(1196年))」も伊行末が関与したものとして有力視されている。
写真 2023年4月5日撮影
この記事へのコメント